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~稲生川今昔~

  •  当地域は青森県南東部に位置し、奥入瀬川(旧相坂川)中流部左岸の三本木原台地に展開する十和田市外1市4町に跨る約5千ヘクタールの農業地帯である。
  •  この農業開発は、南部盛岡藩士 新渡戸傳 と 長男 十次郎 、孫 七郎 の三代が不毛の地(「実に無益なる荒野なり」東遊記より)であった三本木原台地に「稲生川」を開削し上水したことに始まる。稲生川は太平洋を目指し三本木原台地を東走する農業用水路で、安政2年(1855年)に着手、安政6年5月4日上水に成功しており、父子三代による開削は明治4年(1871年)頃までに2箇所の穴堰約4キロを含む約11キロにわたり、現在の十和田市駅付近までの水路が完成した。その他にも、十次郎が万延元年(1860年)に完成させた碁盤の目状の町割りは謙信流の兵法に基づき計画され、近代都市計画のルーツと称されている。
  •  その後も、この地域の開拓事業は地域の人々に受け継がれ、昭和12年から昭和41年までの国営三本木開拓建設事業により太平洋までの水路が完成している。
  •  取水源は国立公園十和田湖に端を発する奥入瀬川であり、湖の水位を調整しながら、自然環境の保全、観光、水力発電、かんがいに利用するための「奥入瀬川河水統制計画」により、新規利水は厳しく制限されている。渇水期には番水制を強いられ、代掻期間の用水不足に落ち水を反復利用する小規模揚水機が数多く点在し、慢性的な水不足の状況にあった。先の国営事業造成施設は昭和43年の十勝沖地震なども影響し、老朽化が激しくなり部分的な補修を頻繁に行ってきた。
  •  このようなことから、関係12土地改良区の合併(土地改良連合解散)を経て昭和53年に国営相坂川左岸農業水利事業所が発足し、小川原湖に新規水源を求めるとともに、揚水機場の新設、用排水路の新設及び改修、畑地かんがいの導入、併せて付帯県営かんがい排水事業やほ場整備事業などを行い、慢性的な水不足の解消や農業経営の安定及び近代化を図ることとなった。しかし、農業情勢の変化や小川原湖淡水化計画の見直し、更には中止となったことを受け、計画変更により新規水源を小川原湖から砂土路川に切り替え、事業の推進を図ってきた。
  •  また、同時に国営農業用水再編対策事業(地域用水増進型)を取り込み、支線用水路について、環境・景観・生態系に配慮しながらの整備をするとともに、頭首工や河道外貯留施設(調整池)などの基幹施設の改修を行ってきた。
  •  上水後150年の節目となる前々年の平成18年度に国営相坂川左岸農業水利事業が完成した。農林水産省の「疏水百選」に応募し、清らかな水の流れる稲生川は、投票数で栄えある全国第一位を獲得し認定され、全国的に知れ渡ったことは誠に光栄なことである一方、今後は認定に恥じないよう疎水を地域共有の資産と位置づけ、農家と地域住民、関係団体が連携する保全管理策や様々な創造運動を行っていかなければならない。
  •  地域に恵みをもたらした「疏水 稲生川」 が永遠に地域の皆様に愛され、先人の遺徳を偲ぶ施設であるように、また、後世(未来の子供たち)に引き継がれ守られることを切に願うものである。




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