HOME < 団体情報 < 稲生川の歴史

稲生川の歴史新着情報

 1852年 嘉永5年
新渡戸傳(南部藩武士)、三本木開拓の意見書を藩に出す。三本木原の測量をする。
 1854年 安政元年
開発の仲間(十か年士)が集まってくる。
 1855年 安政2年
4月、三本木新田開発願いを藩に出す。 8月、藩から許しが出る。
 
10月4日、三本木新田御用掛となり工事に取り掛かる。
 1856年 安政3年
熊ノ沢~矢神の間の穴堰を掘り抜いた(2,540m)。
 
矢神~京ノ舘の陸堰を掘り抜いた(2,727m) 。
  1857年 安政4年
傳、工事半ばで江戸へ役人として行く。
 
子の十次郎が後を継ぎ、法量~段ノ台の間の穴堰を掘り抜いた(1,620m)。
 1858年 安政5年
京ノ舘~三本木の間の陸堰を掘り抜いた(3,420m)。
 1859年 安政6年
傳、ふたたび三本木に来て仕事をする。
 
5月4日、三本木まで水が流れる。 稲生川上水完成。
 1866年 慶応2年
十次郎、第二次上水計画に取り掛かる。
 1869年 明治2年
開拓工事が中断した。
 1870年 明治3年
傳、開拓工事を国で行うように明治政府の大隈重信大臣に伝えた。
 1884年 明治17年
上北郡長であった藤田重明氏が中心となり、三本木原開拓を目的に、三本木共立開墾会社がつくられた。
 1887年 明治20年
このころ、壊れていた稲生川を修理して、ほぼ元の形に直した。
 1914年 明治27年
三本木共立開墾会社から三本木開墾株式会社に名称が変わった。
 1917年 大正6年
このころ、元村(現在の元町)の地主と稲生川を管理する三本木開墾株式会社との間で水の権利で争いがあった。   
 1921年 大正10年
三本木原の開墾を国の事業として進めてもらう団体の運動が始まった。
稲生川の利用や整備を 稲生川普通水利組合 が 三本木開墾株式会社 から引き継ぐ。
 1923年 大正12年
三本木原の開墾を 稲生耕地整備組合組織会 が 三本木開墾株式会社 から引き継ぐ。
 1928年 昭和3年
水野陳好氏らが貴族院議員の新渡戸稲造博士に、三本木原の開墾を国の事業として進めるように国会で取り上げてもらうために、何度も働きかけた。
 1937年 昭和12年
水野陳好氏が中心となり、379回も陳情するなど、17年間にもわたる国や県などへの働きかけにより、三本木原を国の事業として開墾すること(国営開墾)が決まった。
 1938年 昭和13年
国営開墾の工事が始められた。
 1944年 昭和19年  
国営開墾の新しい用水路が完成した。
 1947年 昭和22年
戦争のため中止になっていた国営開墾が再び始められた。
 1959年 昭和34年
稲生川の改良工事が始められた。
 1963年 昭和38年
国の三本木原の開拓建設事業が完成した。
 1964年 昭和39年
県の稲生川を改良する工事が完成した。
 1966年 昭和41年
国、県、改良区の三本木原の開拓事業が完成した。
 1978年 昭和53年
農業用水を合理的・近代的に使うため、昭和13年から始められた国営開墾の施設を新しくする、国営相坂川左岸農業水利事業が始まった。
 1984年 昭和59年
国営相坂川左岸農業水利事業に附帯する県営相坂川左岸土地改良事業が始まった。
 1989年 平成元年
国営相坂川左岸農業水利事業が国営相坂川左岸地区かんがい排水事業に名称変更。
 2004年 平成16年
国営相坂川左岸地区かんがい排水事業の計画変更に伴い、多面的機能を有する地域用水機能増進事業に取り組み、稲生川ふれあい公園が完成した。
 2005年 平成17年
十和田市・十和田湖町の合併により新「十和田市」誕生。一本木沢ビオトープ竣工。
 2006年 平成18年
疏水百選に稲生川が選ばれる。耕地面積5900ha。この頃までに稲生川総延長約70kmに至る。
 2007年 平成19年
国営相坂川左岸地区かんがい排水事業完了。(3月国営事業所閉所)
 2008年 平成20年
稲生川上水150年。
 2009年 平成21年
県営相坂川左岸地区かんがい排水事業終了。
 2013年 平成25年
土木学会選奨土木遺産に「三本木原開拓施設群」が登録される。
 2014年 平成26年
国際かんがい排水委員会より世界かんがい施設遺産に認定される。
県営小水力活用農村活性化発電施設整備事業で造成された、稲生川小水力発電所の運転を開始する。


このページのトップへ↑

バナースペース